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2015/02
あの時の自分を思い出して。
ご覧頂き、ありがとうございます。長生です。
普段、公共事業系の大手(?)コンサルタント会社に
勤めている私ですが、今日は市内某所で、技術研究の
発表会に参加してきました。
私が発表会でプレゼンしたわけではないのですが、
本社の担当者のプレゼンを応援しに行きました。
内容は、川、河川に関することなのですが、
私(と愉快な仲間たち数名)が14年前に作成した、
とあるジャンルのマニュアルについて、
本社担当者が、そのマニュアルを作った経緯、
コンセプト、そのマニュアルが全国レベルで
使用されていること、今後の業務の課題等、
再び取り上げて、発表頂いたものでした。
産みの親としては、ありがたい話でした。
(今の私は、河川に携わっていませんが。)
14年前、当時20台半ばの私。
その時の私の頭の中の円グラフは、
仕事85%。
女性とか合コン10%。
家族やプロレスのこと5%という状態で、
100%ではないにせよ、時間も心も、
仕事にかなり費やしていました。
休日でも・・・(まだ競馬やる前です。)
例えば、ガソリンスタンドで洗車、待っている間、
仕事の書籍を見たりもしていました。
自分のやっている仕事に対して非常に高い意識を
持っていて、同じような意識を持っていない
諸先輩に対し、口撃したことも一度や二度では
ありません。
今の私は、仕事が5%で、競馬が70%・・・
な状態かもしれませんが(笑)、それでも当時は、
それぐらい情熱と、自分なりの義務感とか正義感を
持って、仕事にあたっていました。
その時に、私(と、その仲間たち)は、
自分たちの業務に対する不満足感や危機意識から
河川に関する、とあるマニュアルを作ったのですね。
ボリュームは300ページ以上。
それを通常業務もこなしながら、
約半年で作成しました。
かなりなマニアック本ですが、出版者に打診して
書籍にしようかとも思いました。
あの時、リーダーだった私は、朝9時から深夜まで、
金曜日の場合は、2時3時まで作業に没頭していました。
徹夜も何回かあります。
誰もいないオフィスに、一人だけポツンと残業して
「俺、何でここまでやっているんだ?」と
思ったことは何回もありますし、
その後、これを作ったことでチョー保守的な上司とも
衝突しましたし、反面、仲間たちとは、仕事を超えて
プライベートでも繋がることになりました。
(その中の一人が、私に競馬を奨めた人間です(^^))
今日の発表会。
あの時・・・
金曜日の夜を越え、土曜日の午前2時を回った時に、
フト浮かんだ、ハイテンションなタイトルが、
14年経った今、静寂な発表会の場で、
プロジェクターにデカデカと映し出され、連呼される。
競馬の実況中継で言えば、例えば、
「モチが逃げる、モチが逃げる!」
みたいな感じです。
G1の実況中継で、
「ネコパンチが差して来た!」
と変わらないかも。
・・・いや、そこまでの、ハイテンションなタイトルでは
ありませんが、私が名付けたネーミングを聞いて、
聴衆者の私、一人、感無量な気持ちに浸っていました。
今回、「昔の自分はこうだったです」という記事を
書きましたが、一番書きたいのは、それだけではなく、
あの時を思い出して、今、これからをどう過ごすか。
あの時の意識、行動、費やした時間、労力・・・
あの時とは、年齢も違うし、置かれている環境も違うし、
あの時と同じことをするのは難しいですが、それでも、
あの時を思い出して、少しでも自分の馬券活動に活かす。
そうしなきゃいけないと思った次第です。
あの時の自分は、その分野では確実にプロだった。
今の自分は、馬券に関して、まだプロではない。
でも、プロになりたい。
その第一歩。まずは外見から。
というわけで、早速、とあるものを作ってみました。
名刺です(^^)

本日(いや、昨日)、私が尊敬する美人占い師さん、
美熟女のおねーさま、相武紗季似のおねーさん、
イケメンな有名ベーシスト、男前でカッコいい
映画プロデューサー、世界を股に活躍されている
マッチョなマジシャンの方たちと・・・
私の普段の日常では、絶対にお会いできないような方と
飲む機会がありまして、ちゃっかり名刺を差し出しました。
私の裏の顔は馬券師。
あとは、結果が追いつくように、自分のメンタル面との
勝負です。
追伸
人間、何かに本当に一生懸命やっていたら、
その時は、日の目を見るとか、成果は出なくても、
何年後かに思わぬところでスポットライトや
「成果が出る」ことを実感しました。
馬券では、諦めが肝心な時もあるかと思いますが、
それ以外では諦めるのは「まだ早い」と思いました。
普段、公共事業系の大手(?)コンサルタント会社に
勤めている私ですが、今日は市内某所で、技術研究の
発表会に参加してきました。
私が発表会でプレゼンしたわけではないのですが、
本社の担当者のプレゼンを応援しに行きました。
内容は、川、河川に関することなのですが、
私(と愉快な仲間たち数名)が14年前に作成した、
とあるジャンルのマニュアルについて、
本社担当者が、そのマニュアルを作った経緯、
コンセプト、そのマニュアルが全国レベルで
使用されていること、今後の業務の課題等、
再び取り上げて、発表頂いたものでした。
産みの親としては、ありがたい話でした。
(今の私は、河川に携わっていませんが。)
14年前、当時20台半ばの私。
その時の私の頭の中の円グラフは、
仕事85%。
女性とか合コン10%。
家族やプロレスのこと5%という状態で、
100%ではないにせよ、時間も心も、
仕事にかなり費やしていました。
休日でも・・・(まだ競馬やる前です。)
例えば、ガソリンスタンドで洗車、待っている間、
仕事の書籍を見たりもしていました。
自分のやっている仕事に対して非常に高い意識を
持っていて、同じような意識を持っていない
諸先輩に対し、口撃したことも一度や二度では
ありません。
今の私は、仕事が5%で、競馬が70%・・・
な状態かもしれませんが(笑)、それでも当時は、
それぐらい情熱と、自分なりの義務感とか正義感を
持って、仕事にあたっていました。
その時に、私(と、その仲間たち)は、
自分たちの業務に対する不満足感や危機意識から
河川に関する、とあるマニュアルを作ったのですね。
ボリュームは300ページ以上。
それを通常業務もこなしながら、
約半年で作成しました。
かなりなマニアック本ですが、出版者に打診して
書籍にしようかとも思いました。
あの時、リーダーだった私は、朝9時から深夜まで、
金曜日の場合は、2時3時まで作業に没頭していました。
徹夜も何回かあります。
誰もいないオフィスに、一人だけポツンと残業して
「俺、何でここまでやっているんだ?」と
思ったことは何回もありますし、
その後、これを作ったことでチョー保守的な上司とも
衝突しましたし、反面、仲間たちとは、仕事を超えて
プライベートでも繋がることになりました。
(その中の一人が、私に競馬を奨めた人間です(^^))
今日の発表会。
あの時・・・
金曜日の夜を越え、土曜日の午前2時を回った時に、
フト浮かんだ、ハイテンションなタイトルが、
14年経った今、静寂な発表会の場で、
プロジェクターにデカデカと映し出され、連呼される。
競馬の実況中継で言えば、例えば、
「モチが逃げる、モチが逃げる!」
みたいな感じです。
G1の実況中継で、
「ネコパンチが差して来た!」
と変わらないかも。
・・・いや、そこまでの、ハイテンションなタイトルでは
ありませんが、私が名付けたネーミングを聞いて、
聴衆者の私、一人、感無量な気持ちに浸っていました。
今回、「昔の自分はこうだったです」という記事を
書きましたが、一番書きたいのは、それだけではなく、
あの時を思い出して、今、これからをどう過ごすか。
あの時の意識、行動、費やした時間、労力・・・
あの時とは、年齢も違うし、置かれている環境も違うし、
あの時と同じことをするのは難しいですが、それでも、
あの時を思い出して、少しでも自分の馬券活動に活かす。
そうしなきゃいけないと思った次第です。
あの時の自分は、その分野では確実にプロだった。
今の自分は、馬券に関して、まだプロではない。
でも、プロになりたい。
その第一歩。まずは外見から。
というわけで、早速、とあるものを作ってみました。
名刺です(^^)

本日(いや、昨日)、私が尊敬する美人占い師さん、
美熟女のおねーさま、相武紗季似のおねーさん、
イケメンな有名ベーシスト、男前でカッコいい
映画プロデューサー、世界を股に活躍されている
マッチョなマジシャンの方たちと・・・
私の普段の日常では、絶対にお会いできないような方と
飲む機会がありまして、ちゃっかり名刺を差し出しました。
私の裏の顔は馬券師。
あとは、結果が追いつくように、自分のメンタル面との
勝負です。
追伸
人間、何かに本当に一生懸命やっていたら、
その時は、日の目を見るとか、成果は出なくても、
何年後かに思わぬところでスポットライトや
「成果が出る」ことを実感しました。
馬券では、諦めが肝心な時もあるかと思いますが、
それ以外では諦めるのは「まだ早い」と思いました。
テーマ : 日刊コンピを使った競馬予想
ジャンル : ギャンブル